駒込高等学校
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学園のあゆみ沿革建学の精神大理石小片が集まって一つの絵になるモザイク壁画がサンクンガーデンにあります。それは駒込学園の象徴です。生徒一人ひとりの持つ異なる個性が放つ光が集まって、一つの駒込高等学校という学び舎をつくり上げているからです。これら生徒たちの光を、さらなる自信と英智の輝きへと導くために、それぞれの夢に向かって切磋琢磨し成長を続ける大切な3年間。“一隅を照らす人間の育成”を掲げ、1682年から300年をこえて歩み続ける伝統の教育力と、グローバル教育による新しい価値観、世界観を育む力をもとに、確かな未来への歩みを進めて行きます。「一隅を照らす」天和2年(1682) 了翁禅師により「勧学講院」が上野不忍池の畔に設立され、これが本学園の濫觴となる。 昭和49年(1974) 服装を自由化する。 昭和51年(1976)了創立50周年記念として、格技場(主に柔道)が完成する。 昭和53年(1978)新生徒ホール・新クラブ室が完成する。 昭和56年(1981) 4月に新体育館兼講堂が完成する。 平成元年(1989) 制服を新たに制定する。 平成3年(1991)比叡山研修(高校1年生)を開始する。平成4年(1992)昭和47年以来、募集停止中であった中学校を共学で再開する。 中学学習合宿を開始する(中学2年生)。 海外修学旅行(高校2年生)を実施する。創立70周年記念式典を挙行する。 平成5年(1993)中学校再開第一期生が卒業する。 平成7年(1995) 地上6階・地下1階の、IT時代に対応した高校新校舎が落成する。平成15年(2003)平成9年(1997)日光山研修を開始する。平成24年(2012)創立90周年記念式典を挙行する。平成27年(2015)セブ島語学研修(中学3年生)を開始する。ICT教育によるタブレット端末の導入。平成28年(2016) マルタ島短期留学(高1・2)を開始する。平成30年(2018) 明治6年(1873)校名を「天台宗東部総黌」と改め、 校地は上野寛永寺境内に定められる。明治18年(1885)校名を「天台宗東部大中総黌」と改め、 正式に天台宗立となる。明治37年(1904) 校名を「天台宗中学」および「天台宗大学校」と改め、現在の場所に移される。 大正14年(1925) 12月12日付、宗門外からの生徒も加え普通課程の教育を行う。駒込中学校として文部省から認可される。大正15年(1926) 4月1日より「駒込中学校」が開校する。 昭和20年(1945)戦災で本館を残して校舎を焼失する。 昭和22年(1947)学制改革に伴い新制の「駒込中学校」並びに「駒込高等学校」に改組する。この頃より校舎の復興すすむ。 昭和27年(1952)従来の男子教育に加え、4月1日より新たに「女子部」を開設する。 昭和37年(1962) 四階建ての新校舎が落成する。 昭和41年(1966)男女共学制をしき、建学の精神の現代的適応をはかる。 Komagome337yearssince168223

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